哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 野古道がユネスコの世界遺産に登録されて20年。それを記念して和歌山県田辺市でシンポジウムが開かれた。私は「植芝盛平翁を生んだ“熊野のチカラ”」という演題で講演をした。植芝先生は田辺の人である。熊野の海と山に囲まれて育ち、熊野の霊気を鼻腔に満たして成長された。だから先生が完成された合気道に熊野が深いかかわりを持っているのは当然のことである。それでも、合気道の術理と熊野の霊力の関係を説明するとなると容易な業ではない。

 勝負を争わず強弱に拘らず、巧拙や遅速を比較しないという合気道のありようは普通のスポーツや競技武道に親しんでいる人には理解されにくい。でも、これを宗教的な行に準じるものと考えればわかるはずである。大悟解脱をめざす僧が「悟りの到達度」を修行者同士で優劣を競うことはあり得ない。「オレの方がお前より1ポイント悟りに近づいたぜ。勝った」というような人が解脱と無縁の衆生であることは誰でもわかる。そして、武道の修行も本来はそういうものなのである。「勝負を争わず、強弱に拘らず」が基本なのである。相対的な優劣を競う限り我執を去ることができない。

 修行とは心身を調え、どこにも詰まりもこわばりもなく、何にも居着かない透明な心身を作り上げることである。そして、それを「超越的な力」に委ねる。「超越的な力」は調った心身を通してのみ発動するからである。

 理屈だけなら誰でも言える。だが、「調う」とはどういう体感なのか、「超越的な力が発動する」とは何が起きることなのか、それは長く稽古を積まなければ分からない(積んでいてもわからない)。確かなのは、それは達成度を数値的に表示できるものではない(だから人と競うことができない)ということである。勝敗強弱も巧拙遅速も相対的な優劣を競う心が生み出す幻である。その幻を消すために私たちは修行している。そうして会得された技術が人を殺傷する道具になるはずがない。

 とりあえず合気道の術理を私はそのように説明した。個人の見解だが、それ以外に私は語るべき言葉を持たない。それが熊野の霊力とどう結びつくかは説明する前に時間が尽きた。

AERA 2024年7月22日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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