「中華そば 葵」の塩そばは一杯900円。チャーシュー、穂先メンマ、ナルト、青ネギがのっている。麺は細めストレートの低加水の自家製麺だ(筆者撮影)
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 日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、その店主が愛する一杯を紹介する本連載。今回は埼玉を代表する鶏白湯の名店「中華そば 輝羅」の店主・渋谷さんの愛する名店「中華そば 葵」をご紹介する。

 京浜東北線・蕨駅東口から徒歩3分。塩ラーメンが人気の店「中華そば 葵」はある。ここを本店とし、川口・蕨エリアを中心に店舗展開していて、いまや7店舗を構える人気店である。

 店主の梅原高太郎さんは1981年、埼玉県川口市に生まれる。高校を中退して20歳までバンド活動を続けていた。メンバーの脱退でこれ以上バンドを続けるのは難しいと考えていた頃、父の和夫さんが脱サラして東京・赤羽でラーメン屋を開業した。「ゆうひ屋」という店だ。2000年2月のことだった。

「中華そば 葵」埼玉県川口市芝新町2-19/営業時間11時~15時、18時~22時、ラストオーダー21時45分/不定休(筆者撮影)

 梅原さんはこの店で手伝いを始めた。和夫さんが50歳を過ぎてから始めた店だったので、だんだんと体力が厳しくなり、08年から梅原さんが引き継ぐことになった。

 梅原さんの兄や姉も店を手伝い、家族経営の店として続けてきたが、近くに人気店が多数出店し売り上げが落ちていく。従業員の給料もままならなくなってきた頃、和夫さんに「お前ならどこでもやっていけるから」と言われ、梅原さんは店から追い出されることになる。

 自分が引き継いだお店なのに家族から追い出される形になった梅原さん。ラーメンとは決別しようと宅建の勉強をし、不動産会社の営業職に転身した。

「中華そば 葵」店主の梅原高太郎さん。高校を中退して、20歳までバンド活動を続けていた(筆者撮影)

「心機一転頑張ろうと思いましたが、中卒の自分にはなかなか厳しく、うまくいかず挫折しました。結婚をして住宅ローンもありましたし、その焦りからうつ気味になってしまったんです。ここでもう一度立ち返り、自分にできることはラーメンしかないと独立の準備を始めました」(梅原さん)

 手元には貯金が200万円ほど。実家に戻るわけにもいかず、実家には相談せずに独立に向けて動きだす。だが、出店を進めていた物件の話が流れてしまい、順風満帆にはいかなかい。早く働かなくてはと焦った梅原さんは、川口でずっと空いていた場所の悪い物件に決めてしまった。

 こうして14年7月「中華そば 葵」はオープンした。梅原さんが好きだったラーメン店の名前が「椿」「蛍」など漢字一文字だったことから、漢字一文字の店名にすることに決め、妻の直感で「葵」となった。

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