一杯へのこだわりが伝わってくる(筆者撮影)

 実はこの物件はもともと「ほしの家」という塩ラーメンが人気の店があった場所だった。ここの居抜きで店を作ったため、勝手に「ほしの家」の弟子だと思われていたようで、オープン前から「塩ラーメンを期待しています」という手紙や電報が届いていた。しょうゆラーメンで勝負したかった梅原さんだったが、塩ラーメンをやらざるを得ない状況になってしまったという。

 しかし、オープン日までに塩ラーメンは納得するものができず、初日はしょうゆラーメンのみの提供となった。案の定、来たお客さんからは口々に「塩ないの?」と言われ、初日は早じまいをして急いで塩ダレのブラッシュアップをした。そして翌日から塩ラーメンの提供を始めた。

「ここからしばらくは『ほしの家』の塩と比べられるジレンマと戦いました。口コミやお客さんからの声も、『ほしの家』と比較されるものばかりで、1年ぐらいはこの状況が続きました。逆に、川口には塩ラーメンの店があまりなかったので、新規のお客さまには好評でそれが励みになっていました」(梅原さん)

 梅原さんはもちろん「ほしの家」の塩ラーメンも食べており、そのおいしさも知っていた。だが、自分だけのオリジナリティーを出したかったので、その味を曲げることはなかった。最終的には自分の舌を信じ切ったのである。

魚介、乾物などのスープにモンゴル岩塩とゲランド海塩を合わせた芳醇なスープがおいしい(表紙画像)

■借金をしながらでも従業員を入れて育成

 最初の一年は苦しい経営だったが、翌15年秋に雑誌『ラーメンWalker』に掲載され、お客は倍ぐらいになった。ここから一日100杯の壁を越えられるようになり、塩ラーメンの名店としても知られるようになる。塩ラーメン専門店にはしなかったが、塩を売りにしていく覚悟でお客を増やしていった。

 梅原さんは創業時から店舗展開をすることを視野に入れていた。自分が倒れてしまったら店がつぶれてしまう状況は避けたいと、借金をしながらでも従業員を入れて育成をしていた。10年で10店舗にまで増やそうという計画で準備をしていた。

 16年には2号店「自家製麺 竜葵」を川口にオープン。ラーメンにひつまぶしを付けたセットが話題になり、一気に人気店になる。ここからは従業員が育つタイミングに合わせて店を増やしていき、18年には「濃厚鶏そば 葵」「アオイロー」(19年に立ち退きで閉店)、19年にはララガーデン川口店、21年にはイオンモール川口に「葵製麺」、新越谷ヴァリエ店、そして23年には北千住マルイ店をオープンした。今年で創業10年になるが、10店舗とは言わずとも7店舗まで店を増やすことができた。

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