そんなこんなでワタワタしているうちに卒業したら、今度は中学校もなかなか独特で。扇中学校(現在の興本扇学園)に入学したのですが、全員白い扇子を持っていて、校歌に合わせて踊る文化があったんです。卒業する時は、好きな先輩の第二ボタンをもらう代わりに、扇子交換をするっていう……。
――当時から、足立区に“ガラの悪さ”は感じていましたか
治安は悪いと思ってました(笑)。自転車は絶対盗まれちゃうから、タイヤについてるカギだけでは危うい、ダイヤル式のチェーンのカギを鉄の柱に巻くようにって言われていて、小学生でも自転車は自分で守らなきゃいけないんだなと。実際、チェーンを巻いていなかった親の原チャリ(原動機付自転車)は盗まれました。
変わった人もいました。10円玉をねだってくるおばあちゃんが有名で、10円あげると大人しく去っていくんですけど、あげないと罵声を浴びせられるから、みんな小銭をたくさん持ち歩くようにしていました。
グラビアデビュー当時の思い
――そんなワイルドな足立区から、華やかな芸能界へデビューしたのですね
私自身は芸能の世界に夢を抱いていたわけではないのですが、中学2年の夏、親友が「劇団のオーディションを受けてみようよ」と言い出して。夏休みでひまだし、深く考えずに「いいね!」と応募してみたら、受かったんです。ちなみに、親友は早々に「やっぱりトリマーになりたい」と言ってやめてしまいました。
入団してすぐ、お昼のドラマのオーディションに受かってからは、学校にも行けないくらい忙しくなりました。それまではただの中学生だったのに、一気に世界が広がりましたね。15歳でグラビアの仕事が始まると、撮影でハワイとかサイパンとか海外にも行ける。周りから一人の大人みたいに扱ってもらえることがうれしくて、友だちに会えなくて寂しいと思うことは特になかったです。