津田塾大、北里大は起源となる教育、研究機関の創設者の名が、大学名につけられた。創立者に対する最大の敬意が払われている。

 大学名に創設者の名が付されている大学は他にもある。ここにいくつか紹介しよう(カッコ内は大学開学年、所在地)。

 大妻女子大(1949年、東京)の起源は、明治時代までさかのぼる。1908(明治41)年、大妻コタカが24歳のときに開いた裁縫、手芸の私塾だ。その後、大正時代になって大妻技芸伝習所を設置する。

 椙山女学園大(1949年、愛知)は、1905(明治38)年、椙山正弌(すぎやま・まさかず)、いま夫妻が開校した名古屋裁縫女学校を起源とする。大正時代に入ると椙山高等女学校に発展させ、戦後は新制大学スタートとともに4年制大学となった。

 星薬科大(1950年、東京)の前身は、星製薬株式会社に1911(明治44)年に設置された教育部門である。のちに星製薬商業学校、星薬学専門学校となり、戦後は4年制大学として認可された。星製薬の創業者で大学初代理事長は、星一氏。作家、星新一氏の父にあたる。

 杉野服飾大(1964年、東京)は、服飾家の杉野芳子が1926(大正15)年に設立したドレスメーカー・スクールが起源となっている。2002(平成14)年に杉野女子大から現校名に改称して男女共学となった。

 跡見学園女子大(1965年、東京)は、私塾で書画や漢学を教えていた跡見花蹊(あとみ・かけい)によって1875(明治8)年に設立された跡見学校を起源とする。跡見学園の沿革には「日本人による初めての私立女子校として誕生」(跡見学園ウェブサイト)とある。

 安田女子大(1966 年、広島)の歴史をさかのぼると、1915 (大正4)年に安田リヨウが開いた広島技芸女学校にたどり着く。戦争中は苦難の道を歩み、大学ウェブサイトには以下のように記されている。「学園は世界で最初の原子爆弾によって破壊され、安田五一初代理事長をはじめとして多くの犠牲者を出しましたが、惨禍に志を曲げることなく、残された教職員そして学生は自ら額に汗して、復興に取り組み、建学の理念を守り今にいたっています」

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医科大や女子大も