長男が不登校となり、当初は、「いい学校に行かせる夢は絶たれた」と半ば絶望していましたが、次第にそんな絶望が懐かしくなるくらい、不登校は深刻化し、引きこもりという状態に突き進んでいきました。いまでこそ、「どうしてあんなふうに考えていたんだろう……」と不思議に思いますが、田舎から出てきて、どこかで「都会の暮らしには学歴が必要だ」とインプットされてしまったのだと思います。何より、自分の中に学歴コンプレックスがあったのでしょうね。

 長男が引きこもりになって、まず思ったのは「生きてくれているだけでいい」ということでした。そして「いつかは世の中に出ていってほしい」という希望を抱いて、それまではじっくり寄り添ってあげよう、と決めました。どんな学校でも、どんな仕事でもいい。長男の人生は長男のものなんだから、本人が自分で決めることだ。そう思えるようになったのです。

 私の子どもへの期待のハードルはどんどん下がっていき、ふと、あるアイデアが浮かびました。ちょうど息子に対する言葉かけを変えてコミュニケーションも良好になってきた頃で、ならば家事を手伝ってもらうようにしようと思いたち、家事を細部化して値段をつけました。食器洗い100円、洗濯取り込み50円、たたんでくれたら50円、掃除機をかけたら300円、夕飯作りは500円、といった具合です。人のために働くことで、その対価としてお金がもらえるということを体験してもらうのが、長男のためになるのではないかと思ったのです。

 長男はいろんな家事を引き受けてくれて、1日で1500円ほど稼ぐこともありました。家計にはちょっと痛手でしたが、うれしい悲鳴。実際、家事をやってくれると私はとても助かるので、「食器洗い、本当にありがとう。疲れて帰ってきて台所がきれいだと本当に助かる!」「帰ってきたらごはんができているなんて、本当にしあわせ!ありがとう!」と伝え続けました。「あなたのおかげで助かった。ありがとう」と感謝の気持ちを伝え続けることで、息子に自分の存在意義を感じてほしかったし、仕事というのは人の困りごとを代わりに解決してあげて、それに対する「ありがとう」の感謝の気持ちがお金に変わるんだよ、と知ってほしかったのです。

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