旅順口の戦い戦闘概要図
第2軍は遼東半島に上陸後、清軍の拠点を次々に陥落させ、旅順に到達。未明に侵攻を始めて、夕方には旅順港を占領と、わずか1日で決着した。
参考図書/『近代日本戦争史第1編 日清・日露戦争』(同台経済懇話会)
地図制作/アトリエ・プラン

 もう1つは、清が持久戦に持ち込もうとしたことだ。全面衝突を避けつつ戦いを引き延ばすことで、列国が介入してくれるのを期待したのである。日本軍は15万人しか兵がおらず、持久戦に持ち込まれたら極めて不利になる。だから大本営は、厳冬期は戦闘を停止して待機(冬営)するよう、陸軍に求めた。

 ところが山県有朋第1軍司令官は、そんな思惑に反して、厳冬期の前に決着をつけようと、進撃案を次々と大本営に提案。大本営はそれを却下したが、第1軍の桂太郎第3師団長などは強引に海城攻撃を行うなど独断行動に出るようになった。もちろん山県の了解のもとであった。

 明治天皇は、戦況報告と体調不良を懸念して山県に帰還を命じ、十二月十八日、第1軍司令官を解任した。

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