AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。
一般家庭から出家して禅僧になった著者、南直哉さんにも生きる苦しみがあった。その体験と、長年悩みを抱えて訪ねてくる人々を迎えてきた経験から「この世には、自分の力ではどうしようもないことがある。人間、生きているだけで大仕事なのだ」という境地にたどり着いた。「仕方なく、適当に」「万事を休息せよ」「死んだ後のことは放っておけ」など、肩の力が抜ける心優しい人生訓『苦しくて切ないすべての人たちへ』。南さんに同書にかける思いを聞いた。
* * *
南直哉さん(66)には10年以上前、本誌〈現代の肖像〉に登場してもらったことがある。彼を訪ねて恐山にも行った。硫黄臭漂う「地獄谷」に衣をはためかせて立つ姿は存在感十分。永平寺の僧堂時代には修行僧への厳しい指導で「ダース・ベイダー」と恐れられたと聞くが、当時のインタビューでは、小さな頃から喘息で苦しみ自殺願望が強かったこと、死なないために出家したこと、師匠との出会いなどを本音で語ってくれた。仏教の教義など「お坊さんらしい」話は一切出てこなかった。
「僕が本を書き始める前もお坊さんの本はたくさん出ていて、仏教の教えは必ず盛り込まれていたものです。でも僕は仏教を語る言葉を変えたかった。もう『いい話』をしてもリアリティーがない。そもそも僕自身に引っかからない。僕は自分の体験に刺さらない言葉は言えないんです。時々講演が終わった後で、『あなた、仏教の話をしないでいいんですか?』と言われることもありますね」
話さないのではなく南さん流でちゃんと話しているのだが、世間は「お坊さんとはありがたい話をするもの」と思い込んでいるらしいのだ。ある中学の講演会では「夢だの希望だのと、たわけたことをぬかすな!」と言って中学生から大拍手を受けたことも。