旧朝香宮邸/所在地:港区白金台5-21-9 “アール・デコの館”としても名高い朝香宮鳩彦王の邸宅。1933年竣工。フランス帰りの施主の朝香宮夫妻の趣味が凝縮されている。現在は東京都庭園美術館となっている(写真:加藤史人)

 ところが、時代が下り、昭和初期に竣工した旧前田家本邸になると、和館と洋館の使われ方が逆転する。海外駐在期間が長かった前田利為は洋風の生活に慣れていたため、洋館で生活し、和館をVIPルームとして活用した。特に、外国人との交友関係が多かった前田は、和館での接待こそが日本文化を満喫してもらうにはふさわしいと考えたのだ。この前田の狙いは的中している。

 以前、私の知人のイギリス人を旧前田家本邸に案内した際、洋館にはそれほど興味を示さなかった。ところが、和館にはいたく感激していたのだ。日本人はもしかすると、感じ方が逆になるかもしれない。

趣味が表れた住宅

 東京はさすが大都市ということもあって、施主の趣味が濃厚に表れた住宅が数多い。特に大正時代以降は、個性派の住宅が相次いで建設された。

 壁面に銅板を貼った旧磯野家住宅がある一方で、質実剛健な造りを示すのが旧朝倉家住宅である。和館が主体であり、洋間も設けられているものの、政治家の住宅ということもあって、華美さを避けている。旧久邇宮邸は天井に日本画家の手になる天井画をはめ込んでいる。これは久邇宮が日本美術協会の総裁だったため、様々な芸術家と繋がりがあったためだ。フランスに留学した朝香宮夫妻が建設した旧朝香宮邸は、世界最高峰のアール・デコの館である。

 なかでも異色なのが、新1万円札の肖像にも選ばれた渋沢栄一の邸宅の一部であった、旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬であろう。大正時代の自由な気風が発揮されている名作だ。渋沢家は空襲で邸宅の大部分を失ってしまったが、晩香廬と青淵文庫の2棟は奇跡的に残った。

 渋沢は建築に深い造詣があり、最初の兜町邸は当時まだ若手だった辰野金吾に設計させている。生涯500もの会社に関わった人物ということもあって、若手に仕事を任せる気概はさすがといえるし、進取の精神があったといえる。残された建築をもとに、渋沢に思いをはせてみてもいいだろう。

(ライター/編集者・山内貴範)

AERA 2024年6月24日号

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