もう一つ、砂崎さんの講座で目からうろこだったのは、平安貴族たちの忙しさの背景だ。 第6帖「末摘花」に、朝早く光源氏の寝室に頭中将が乗り込んでくるという場面がある。「内裏から来たのか」と問う光源氏に「そうだ」と答えた頭中将は、こう続ける。「予定されている朱雀院への行幸で、誰が演奏して誰が舞うのかを今日決める。このことを昨夜、帝から承った。それを伝えに来た。また内裏に帰る」。

 このあとふたりは一つの牛車(ぎっしゃ)にのって内裏に出勤していくのだが、メールも電話も郵便もなかった平安時代、平安人たちは行事の準備のために、牛車に乗って「今日ミーティングやるよ」を参加者一人一人に伝え回った。そして、もろもろのことを「縁起のいい時間」に行うために、常に時間を気にしていた。誰かが来ないという場合も、牛車で出かけていって叱責する。藤原道長の側近として活躍した藤原行成が残した日記「権記(ごんき)」からは、彼が連絡係をしていた当時、月に1日ないし2日しか休んでいなかったと思われる出勤記録が残っている。

 砂崎さんは言う。「用語を正確に把握すると、現代の感覚では見逃したり誤解したりしてしまう場面に気づくことができる。作者がこれを書くことで何を言おうとしているのかがわかる。当時の常識を踏まえれば読み解けるところが、源氏物語にはまだたくさんあるんです」。

(構成 生活・文化編集部)

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