遣水の清掃が「なまめかしい」のには理由がある。遣水周りのもろもろは、平安人にとっては男性の仕事。「流れは東から南西へ」ということを含め、適切に処理する知識があるのはハイスペックな男性のみだったから、明石君とその家族は「うちの婿殿、すごい」と感じたことだろう。しかも、男性が女性のもとを訪ねる通い婚だった当時、朝になってもすぐに帰らず清掃を指揮する姿は、光源氏が明石君との関係を公にしていい、と考えていることの証左だ。「今後も責任を持ちます、という気持ちをみせてくれたようなものです」と砂崎さん。
青海波一つ、遣水一つとっても、言葉の意味と背景を知るだけで、多くのことが読み取れることがわかる。
遣水周りが男性の仕事なら、装束周りは女性の持ち場。男性は束帯姿で内裏に出勤するが、その仕立ては妻の仕事で、「妻とその実家の力量を示す機会でもあった」と砂崎さん。第38帖「鈴虫」には、紫の上が自ら女三宮(光源氏の正妻)の法事のために縫製をしたと書かれている。天皇の子である女三宮はあまりにも格が高いので、紫の上自身が仕立てを行い、その縫い目が「見事」だった、と。
砂崎さんによれば、装束の仕立ては当時の女性にとって、縫いや色のセンスを含め優秀さのみせどころでもあった。第6帖「末摘花」や第15帖「蓬生(よもぎう)」に登場する末摘花は、器量が悪かったために捨てられたというイメージが強いが、実は光源氏は不器量であることは問題にしていない。ハイセンスな会話ができない、感性が鈍い、と感じることがあった後に、器量がよくないということがわかり、極め付きが装束のプレゼントだった。
世間に公表するほどの関係には至っていないのに装束を送ってくるという空気が読めない感じに加え、あきれ返るほど質の悪いものが届いた。光源氏はこのことを「あさまし(がっかりだ/嘆かわしい)」と思ったのだ。第11帖「花散里」に登場する花散里も不器量だったが、衣服を作るということにかけては素晴らしかった。結果、光源氏の邸宅「六条院」に住居を得ている。