※写真はイメージです。本文とは関係ありません(gettyimages)

 ですから、「伝統」は変わります。必然を感じられなくなったら、「伝統」を続ける意味がなくなるからです。

 時々、「どうしてそれを続けているの?」と聞いて「それが伝統だから」と答えるだけの人がいます。でも、それが「伝統」になったのには、理由があるはずです。そして、今も残っている理由が「伝統を守ろう」ということだけではなく、「こういう理由で残した方がいい」という明確な理由があれば、それは素敵な「伝統」だと思います。

 もちろん、「理由は分からないんだけど、『伝統』だから残そう」と主張することは、悪いことではないと思います。今の私には想像もつきませんが、次世代がこの伝統の意味を見つけてくれる、なんて可能性もあると思います。

 ただし、それは、みんなが「伝統」を残すことを納得し、「伝統」の維持に関して、みんなが積極的に努力することをためらわない場合だと思います。

 一部の人達の犠牲と努力のみに支えられた「伝統」は、残念ながら長くは続かないと思います。

 お姑さんがご存命の間は、「伝統」を続けたいと思われるでしょう。でも、お豆さんの代になり、「これとこれはもういいんじゃないでしょうか」という思いを実行することは、とても当たり前のことだと思います。お豆さんの夫がどう考えるかは問題ですが、「自分は何もしないけど、すべての伝統を残してほしい」と言われたら、話し合う余地があると思います。

 お豆さん。

 伝統に関しては、僕はこんなふうに考えています。

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鴻上尚史

鴻上尚史

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、また本連載を書籍にした『鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』がある。Twitter(@KOKAMIShoji)も随時更新中

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