6月も中盤戦に突入しました。最近「AERA dot.」で掲載された記事のなかで、特に読まれたものを「
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トレードなどで複数の球団を渡り歩いた選手は、活躍時の所属球団のイメージが強くなる。その一方で、在籍期間が短く、活躍できずに終わった球団では、チームに所属していた事実すら、ファンに忘れられがちだ。
移籍後に新天地で大きく飛躍した選手は、往々にして前の所属球団での印象が薄くなる。
代表的な一人が、ヤクルト、ソフトバンクでユーティリティープレーヤーとして活躍した川島慶三だ。
ヤクルト時代は正遊撃手になった2009年に主に1、2番打者として初めて規定打席に達し、打率.255、12本塁打、43打点を記録。ソフトバンク移籍後も内野の全ポジションと外野も守れる貴重なスーパーサブとして6度の日本一に貢献した。
これに対し、最初の球団・日本ハム時代を覚えている人は少ないはずだ。2年しか在籍していないうえに、1年目は出場24試合、翌07年も春季キャンプで右肩を痛めた影響で10試合しか出場いないからだ。
だが、同年オフ、日本ハムGM時代から川島を高く評価していたヤクルト・高田繁監督が3対3の交換トレードで獲得し、移籍1年目からレギュラーで起用したことにより、野球人生が大きく開けた。川島自身も「(ヤクルト移籍は)チャンスだと思った」と回想している。
同様に、2000年代に広島、巨人でユーティリティープレーヤーとして活躍した木村拓也も、最初に入団した日本ハムでは出場機会に恵まれず、印象は薄い。
次は逆のパターン。現役晩年を迎えた選手が、最後の1年だけ在籍した球団のイメージも薄れがちだ。
前出の川島も、ソフトバンクを戦力外になったあと、22年に楽天でプレーしているが、出場12試合の打率.136、1本塁打に終わっているので、“楽天・川島”のプレーを覚えている人は多くないはずだ。
ダイエー、日本ハム、阪神の3球団で通算129勝22セーブを挙げた下柳剛も、現役最終年の12年は、楽天でプレーしている。
11年オフ、阪神を戦力外になった43歳の左腕に声をかけたのは、くしくも阪神監督時代に日本ハムから下柳を獲得した楽天・星野仙一監督だった。