スエヒロ『戦国時代のタイムライン』(朝日新聞出版)
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織田信忠:当時、父に代わって織田家の当主を務めていた私、信忠も同じく光秀の軍勢に襲われました。滞在していた妙覚寺から二条御所に移り、懸命に応戦しましたが、最後は父上と同じく、火が放たれた建物の中で自害という最期を迎えました…。ぴえん…。

織田信長:家臣からの謀反により討たれたワシだが、「光秀がなぜ謀反を起こしたのか?」については諸説あるのだな。その中で主要なものの一つが「怨恨説」。光秀に対する無理な命令や横暴な振る舞いなどに対して、光秀が恨みを募らせたというものだな。ワシそんなに酷いことしたかな…。

明智光秀:お忘れですか…。例えば武田氏を滅ぼした際に、私が「苦労した甲斐があった」と発言したのを聞いて「お前になんの功績があったのか」と信長様が激怒して私の頭を欄干に打ち付け、めちゃくちゃ叱責しましたよね…? 他にも家康様を接待した際に「腐った魚を用意した」と難癖をつけ、饗応役を解任もしましたよね…? まだまだありますよ!

織田信長:……。まあ今となっては真相は闇の中だが、本能寺では変のあとワシの遺体が見つからなかったなど色々謎も多いしな。

森蘭丸:大河ドラマなどで描かれがちな「敦盛」の件も創作なんですよね。幸若舞・敦盛の一節、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」を舞うやつ。燃える寺でそれはないですよね。

織田信長:桶狭間の戦いの前夜、出陣前に敦盛の一節を歌いながら舞ったというエピソードは「信長公記」には記されているのだがな。まあワシほどのカリスマの最期だから、いろいろ想像が膨らむのであろう。

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決死の伊賀越え