ケイコ先生とは今でも連絡を取り合う(事務所提供)

――1日13時間を超える猛勉強の日々はいかがだったでしょうか?

 私よりケイコ先生が大変だったと思います。引き算すらできない人が東大を目指すんですから(笑)。最初は赤本で東大の数学の問題を見ても、国語かなと思うぐらいもう訳がわからない。でも、コツコツやって簡単な問題からどんどん解けるようになって得点が上がると自信につながるんですよ。センター試験(当時)で東大の1次合格ラインに全然届かず、他の私立大を受けることになったんですけど、ある大学の入試問題を見たときに小学校レベルだと感じて。勉強し続けるつらさがゼロではなかったけど、ケイコ先生が丁寧に教えてくれたし、楽しかった思い出という感覚が強いですね。当時住んでいた家は風呂なしだったんですけど、勉強で連れていかれた部屋は、お風呂もエアコンもあるので幸せを感じていました。テストで80点以上を取ればご飯も食べられましたしね。

1カ月でマックス800万、900万円ぐらい

――日大文理学部など8校に合格し、その後はバラエティー番組の出演が殺到しました。

 当時のスケジュール帳を見返すと真っ黒でした。どれぐらい稼いだか記憶がないんですけど、そのときのマネジャーに聞くと1カ月でマックス800万、900万円ぐらい。でもお金はたまらなかったんです。売れたすぐ後に家族から「まとまったお金を送ってくれ」と催促が来て。父を早くに亡くして、母に負担を掛けていたので売れる前から微々たる額を仕送りしていたけど、まとまったお金を持っていると知ったら……お金で人は変わってしまうんです。数千万円を渡しましたけど、その後もお金を催促されました。「番組に出て笑っているだけで楽に稼げるからいいじゃん」と兄弟に言われたときはすごくショックで……。汗水たらして稼いだお金じゃなく、もらったお金だから感謝の気持ちがないんです。自分の身を守るために家族と距離を置くことを決めました。もう20年以上連絡を取っていないですね。

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家族を捨てたという認識を持っています