いまだに「電波少年を見ていました」と言ってくれる人が多いという(撮影/平尾類)
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 今からさかのぼること24年前。バラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)で放送された「電波少年的東大一直線」を覚えているだろうか。学ランに身を包んだお笑いタレント・坂本ちゃん(58)が東大出身の家庭教師・ケイコ先生(春野恵子さん)の下で約8カ月間、東大合格を目指して猛勉強する企画は大きな人気を呼んだ。34歳で突如大ブレークした坂本ちゃんだが、その後の人生は波瀾万丈だった。家族に金銭を要求され続けて絶縁を決断したこと、人生を救ってくれたケイコ先生などについてインタビューで語ってくれた。

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――電波少年に出演していた当時の印象が今も強いです。あの番組への思いを聞かせてください。

 あの企画は24年前ですけど、いまだに「電波少年を見ていました」って言ってくださる方が多いんですよ。正直言うと、電波少年のことばかり言われて「うーん」と思った時期があったけど、今は人生を変えてくれた番組なので本当に感謝しています。電波少年に出なければ他の番組にも出られなかったですし、世の中に知られることもなかったですから。大好きな槇原敬之さんにも出会えましたし、今回こうやって取材してもらえることにも感謝です。いろいろな意見はあるんでしょうけど、自分の過去を恥じないようにしています。

将来に不安はなかった

――電波少年に出る前はどのような生活を送っていたのですか?

 役者を目指して山梨から東京に出てきたんですけど、ミシン工場でずっと働いていました。箱詰めのアルバイトで月給は約8万円。30歳を過ぎても芸能界で全然売れていなかったけど、将来に不安は全然なかったです。あきらめさえしなければ大丈夫だって。勘違いも甚だしいんですけど(笑)。私は男3人兄弟で育ったのですが、親に甘えるのが下手で友達もいなかったから、子供のときはずっと下を向いていたんです。テレビに出たらみんなが私のことに気づいて振り向いてくれるのかなって思って、小3のときから毎日神様に祈っていました。「私をタレントにしてください。恋人や普通の家族は望みません」って。

 二兎を追う者は一兎をも得ずで、全部は手に入らないと幼心に思っていました。言霊ってすごいんですよ。恋愛で人と付き合うこともなく、家族とも年数が経ってから関係が切れたんですけど、34歳のときに電波少年のオーディションで合格して、「小3から待ち望んでいた大きなチャンスがきた」と。私は日大の付属高校に通っていたんですけど、勉強ができなくて日大に内部進学できなかった。当時は恥ずかしさがあったけど、もし大学に行っていたらあのオーディションを受けられなかったので、これも運命かなと感じましたね。

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楽しかった思い出という感覚が強い