今年2月、日本女子大学・住居学科の学生たちが卒業制作を発表する「林雅子賞」公開選定会で。選定委員長を務める山崎は他の選定委員と共に建築の在り方を問いかけていく(撮影/植田真紗美)

 都市設計を志して就職したのが、六本木ヒルズなどを手がけた大手設計事務所だ。山崎は2年目に一級建築士に合格すると、一人で設計を任される。山崎の妻で、当時、同じプロジェクトに携わった川島由梨(44)は、その仕事ぶりをこう語る。

「基本設計から、とにかく人より時間をかけてやる努力を惜しまない人。スケジュールを気遣う上司にはそこまでやらなくても……と言われたこともありました。でも、彼は時間が迫っていても、複数の可能性を一つずつ確かめ、最適な答えが出るまで粘り強くやっていた。良いものを作ろうと、ずっとあがいているように見えました」

 現場監理を任された巨額のプロジェクトでは、途中で大手ゼネコンが倒産する危機にも直面した。民事再生で救済されたが、ゼネコンの所長は経費を抑えようと、変更を次々要求し、「設計が悪いから」と理不尽に押し通す。品質管理を担う若い設計者の意見は受け入れられず、「すごく悔しくて、よく飲んだくれていた」と、山崎は苦笑する。

 大規模なプロジェクトに挑戦する醍醐味(だいごみ)は経験したが、ワクワクしなくなっていく。資本の原理のもと、利益回収を追求する施主とゼネコンの板挟みになる日々。ひらめきや好奇心も摩耗していた。辞め時かと思い始めたのは30代に入った頃。折しも実家を建て替える話が出る。山崎は仕事の合間に設計に取り組もうと決めた。

東京・東日本橋にあるアトリエ。週末はこの部屋で一人設計に集中する。旅先で出合った建築、自分の体に沁み込んでいる空間の記憶をたどりながら、模型と向き合う時間がいちばん落ち着くという(撮影/植田真紗美)

 山崎は実家で母の生活を見ていて、気になることがあった。それは、母がいつも風呂場の窓や扉を開け放し、庭を眺めながら湯船に浸(つ)かっていたこと。明るく自由な人だが、陰で抱える苦労も窺(うかが)われた。同居していた姑(しゅうとめ)が厳しい人だったので、母は庭に好きな草花を植える楽しみも遠慮して生きてきたのだ。ようやく姑に仕える務めを終えた母のために設計したのが「庭の中の家」だった。

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 その家はキッチン、居間、バスルーム、書斎と、それぞれ扉がなくひと続きになった平屋で、いたるところに大きな窓がある。庭に植えた花を眺めながら、料理をしたり、本を読んだり、お風呂に入ったり……広い庭の中に住むような住宅だ。母の礼子(72)は黙って、息子に任せるつもりでいた。

「健太郎は2年ほど一緒に暮らすなかで、私の生き方も感じていたみたいです。昔の家は開放的じゃなくて庭はすごく遠かったけれど、私はいつでも扉を開けておきたかったし、ドアや壁もぶち壊したかった(笑)。好きな庭に横たわって最期を迎えられたら、それで私は本望だから」

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