仕事帰りに立ち寄る浅草橋の行きつけのバー。飲み仲間には「健太郎さんはただのおっさん。偉そうじゃないし、おおらかでフレンドリーな人」と慕われている(撮影/植田真紗美)

 父の龍太郎(76)は、「設計図を見た時はびっくりしました。反発すると、一生懸命考えてくれたのに申し訳ない。とりあえず『うん』と預かりましたが、この家で生き方も変わりましたよ(笑)」

 完成した新居で、母はガーデニングを存分に楽しみ、父はアルトサックスを吹き、ボランティア活動にも励む。山崎にとっては、建築家として新たな生き方に転じる「リハビリ」になった。

 2008年、山崎は独立し、設計事務所を設立。リーマンショックで建築業界は低迷していたが、友人の事務所の内装など小さな仕事も夢中で取り組む。やがて舞い込んだのが沖縄の糸満でレストランを作る話だ。施主は同世代の男性で「カッコいい建物にしてほしい」と頼まれたが、ぴんと来ない。なぜ借金までして店を作るのかと。すると彼は漁民の孫で、衰退する漁民文化を憂えていた。食を通して沖縄の文化を伝えたいのだと言う。

 ならば、単にカッコよさを求めるのではなく、もっと沖縄の風土や文化に根ざした建築を表現できないか。山崎が考えたのは、かつて漁民が琉球石灰岩を手積みして漁場を作ったように、石を積んだ素朴な建物。皆で壁の石積みに取り組んだ。

 この「糸満漁民食堂」で2013年度グッドデザイン賞を受賞。キャリアのスタートを確信する転機だった。当時、多くの建築家が東日本大震災を境に建築の在り方を模索していた。社会で求められる建築とはどのようなものか……山崎は人の暮らしや生き方を支える建築を追い求めていく。

(文中敬称略)(文・歌代幸子)

※記事の続きはAERA 2024年5月27日号でご覧いただけます

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