PL学園時代は96年夏の大阪府大会決勝で2本塁打を放ち、甲子園でもセンターへの大飛球をフェンスに激突しながら好捕する超美技を見せるなど、強打堅守の3番打者として活躍。青学大でも1年後輩の石川雅規(ヤクルト)とともに99年リーグ戦春秋連覇、ベストナイン2度と野球エリートの道を歩んできた。

 だが、プロ入り後は、3年間で通算30打数5安打と打撃でアピールできず、“守備の人”と呼ばれた。そんなイメージを覆したのが、4年目の04年だった。

 同年6月22日の日本ハム戦、1点を勝ち越された直後の延長10回裏2死一、三塁、9回からレフトの守備固めで出場していた荒金に打順が回ってきた。

「いいイメージだけを考えて、思い切り行け!」と王貞治監督に送り出された荒金は初球から積極的に打ちに行き、ファウル4本と粘ったあと、カウント1-2から横山道哉の6球目、フォークをライナーで右翼線に運ぶ逆転サヨナラタイムリー二塁打。ナインはもとより、指揮官までが手荒い祝福の輪に飛び入り参加するほどの劇的幕切れを演出した打のヒーローは「(みんなに叩かれても)痛くないです。今まではベンチにいても人に頼っていた。今年はどんなきつい場面でも自分がいくんだと言い聞かせている。頑張ってきて良かった」と感激に浸った。

 同年は74試合に出場し、3本塁打、15打点をマーク。翌05年も、ロッテとのプレーオフ第2ステージ第3戦で、1対4の9回に代打で登場し、小林雅英から延長サヨナラ勝ちにつながる貴重な2点タイムリーを放った。

 だが、その後は多村仁の加入や長谷川勇也ら若手の台頭で出番が減り、10年シーズン途中にトレードでオリックスへ。イチロー退団後、オリックスでは51番が欠番になっていたため、背番号は「50」に。同年6月22日のロッテ戦で、チームではイチロー以来となる3打席連続二塁打を記録したことも因縁を感じさせられる。12年限りで現役引退。今季からソフトバンク4軍スタッフ(野手統括兼守備走塁コーディネーター)に就任した。

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「ホームランバッター」の51番