「反省」や「改善」は本当に意味があるのか

 相手の期待に苦しくなったときは、立ち止まって考えるクセをつけたいですね。

 他人からいろいろアドバイスのようなことを言われることもあると思います。

「小さいことをあんまり気にしないほうがいいよ」
「人の言うことは素直に聞かなきゃ」
「もっとまわりを見渡したほうがいいよ」

 というように。

 時にこういう言葉って、深い意味もない気軽なものだったり、「自分の望むとおりに動いて」とか「自分の言うことを聞け」という理不尽な意味で発せられたものだったりもします。

 でも、真面目でがんばりやさん、いい人や優しい人って、こういうときにもちゃんと「もっとこうしなきゃ」「こんなやり方もあったかも」って反省したり、改善しようとします。

「ちゃんと悪いところを修正しなきゃ」「至らない点は改めよう」「このままじゃダメだ」なんて、指摘された部分、誰かと比べて足りないと思ってしまっている部分を埋めようと、がんばりだしたりします。

 自分の中に「反省」と「改善」がインストールされてしまっていて、「ああすればよかった」「次からはこうしなければ」と、自分を責めて反省したり、がんばって改善しだしたりします。

 でもね、その「反省」や「改善」は自分にとって本当に意味のあること、本当に大事なことだったりするんでしょうか。

 誰かの何気ない一言や理不尽な言葉がきっかけで、あなたの特性や素晴らしさを押さえ込んだり捨ててしまうのは、ちょっともったいない。

「小さいことが気になる」のは「繊細で細やかなところに気づける」という長所になったりします。

「素直に聞かない」のは、「物事を鵜呑みにせず、ちゃんと考えている」という良さになるかもしれません。

「まわりを見渡せない」のは、「集中力がある」という意味にもなります。

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反省で「自分らしさ」に無理は出ないか