他人の期待は「他人の持ち物」
ただ、そうはいっても、気にせざるをえない場合もありますよね。
たとえば「結婚して2年たつし、そろそろ子どもは?」と言ってくるのがお姑さんだとしたら、「無神経な言葉だな」と思いつつも気にしてしまう人も多いでしょう。
こういうときは、こう考えてみてはどうでしょうか。
人間って6割水分なんで、なんかワーワー言われても「この人なんで水に向かってこんなに必死に言ってるんだろう」って。
そう思うとハートつよつよモードになれます。
人間は6割が水だと思うと、ちょっと気持ちがラクになってきませんか?
そもそも「そろそろ子ども(孫)は?」はお姑さんの勝手な「期待」です。
他人の期待は他人の持ち物。自分が背負う必要はありません。
ここの「他人の期待」の線引きが曖昧(あいまい)だと苦しくなったりします。お姑さんが期待しているからといって、自分がそれに応えなくたって全然いいんです。
とはいえ、ついつい「他人の期待に応えなきゃ」って思ってしまいがちですよね。
優しい人などは、「応えられない自分が悪い」と自分を責めてしまったりするかもしれません。
他人からの期待って本当にやっかいなんです。
もしも、他人の期待に「応えなきゃ」と思ってしまったら、ちょっと俯瞰して「相手の期待」と「自分のしたいこと」を線引きするといいかもしれません。
たとえば、ママ友に「今度、子どもと家に遊びに行っていい?」と言われたら、「自分は本当に遊びに来てほしいかな?」と立ち止まって考えてみます。
「遊びたいけど、私の家はイヤだな」という気持ちが浮かんできたら、無理に応えなくてもいいのです。
「家に遊びに行きたい」はあくまでも相手の期待です。自分で背負う必要も、断ることに罪悪感をもつ必要もありません。
「遊びたいけど、あなたの家ではダメ?」などと提案したっていいわけです。