「在京球団」の希望が叶った日本ハム・酒井光次郎(近大)も、1年目に先発で10勝。新人王は野茂に譲ったものの、特別表彰を受けた。93、94年には中継ぎとして40試合以上に登板し、通算23勝1セーブを記録した。

 高校時代は前出の佐々木の控えだった阪神・葛西稔(法大)は、2年目に8勝。その後、リリーフに転向し、野村克也監督時代には、左サイドの遠山奨志との変則的なワンポイント継投“遠山・葛西スペシャル”で名を馳せた。

 異色の外れ1位は、オリックス・佐藤和弘(谷組)。「まさか指名されるとは思わなかった」と驚きの表情を浮かべながらも、「自分の心は(プロ入り)ひとつです!」の名セリフで一躍人気者に。

 在籍5年間で通算149試合、打率.273、3本塁打、26打点とそれほど活躍できなかったものの、94年に仰木彬監督の勧めでイチロー(鈴木一朗)とともに愛称のパンチを登録名にしたことでも知られている。

 野茂だけではなく、外れ1位も意のままにならなかったのがダイエーだ。巨人入りを熱望しながら、大森剛(慶大)に1位を譲る形になった元木大介(上宮)を強行指名。かつて巨人入りを夢見ながら、意中ではない阪神に入団した過去を持つ田淵幸一監督が「本当に野球を愛しているのなら、絶対来るべきだ」と熱く口説いたが、元木は入団を拒否し、一浪の道を選んだ。

 次は90年のドラフトを見てみよう。小池を外したのは、阪神、ヤクルト中日、日本ハム、近鉄、広島、西武の7球団。

 前年の西村同様、外れ1位で成功を収めたのがヤクルトだ。岡林洋一(専大)は、1年目は12勝12セーブ。92年にはキャリアハイの15勝を挙げて、チームの14年ぶりVに貢献し、西武との日本シリーズでも3完投と奮闘した。

 阪神も「即戦力という点で小池と同等の評価」(中村勝広監督)の湯舟敏郎(本田技研鈴鹿)を指名。92、93年に連続二桁勝利を記録するなど、低迷期のチームを支えた。

暮らしとモノ班 for promotion
防災対策グッズを備えてますか?Amazon スマイルSALEでお得に準備(9/4(水)まで)
次のページ
90年の外れ1位に成功組が少ない?