戦国時代、下剋上の代表例に挙げられるのが「美濃国盗り」だ。主犯は「マムシ」こと斎藤道三。しかし、その「マムシ」は実は父親だったという説も……。X(旧Twitter)で歴史上の偉人による架空のタイムラインなどを投稿し大反響を呼んだネット投稿者・スエヒロさん。NHKのSF時代劇『天下人のスマホ』等にも制作協力として携わった彼の新刊『戦国時代のタイムライン』(監修:本郷和人東京大教授)より、土岐頼芸とのやり取りの一部を抜粋・編集してお届けする。
* * *
斎藤道三:北条早雲殿と並び立つ下剋上の体現者といえば、ワシ、斎藤道三だな。寺での修行を経て、油売りの行商に転身したのだが、修行時代のコネクションを使い、美濃の長井長弘に仕官したのがワシの出世の始まりだ。
斎藤道三:美濃の中枢に潜り込んだワシ。次に土岐頼武(ときよりたけ)との守護職の相続争いに敗れ、失意のうちにいた弟・土岐頼芸(ときよりなり)に近づいて、こやつを支援したのだな。ワシの助けで頼芸は守護となり、美濃におけるワシの立場も更に強まったわけだ。
土岐頼芸:そうでしたね…。兄を攻めるにあたって道三氏の力はとても大きかったのですが、あまりの狡猾さに正直慄きました…。特に主君の長井長弘を道三氏が暗殺して、その長井氏の名跡(みょうせき)を道三氏が継いだあたりから本当に怖くなってきましたね…。
斎藤道三:名跡を継ぐことで地位をあげるのがワシのやり方だからな。次いで守護代だった斎藤氏の名跡も継ぎ、ご存知「斎藤道三」となったわけだ。そしていよいよ美濃国盗りに迫るわけだな。
土岐頼芸:当時、美濃は守護の座を巡って土岐家内でも争いが多かったんですよね。私も、兄・土岐頼武に対して挙兵して越前に追放、守護の座を奪うなど国内は本当に不安定な状態だったんですよ。
そんな状況の中、私の弟・土岐頼満が道三氏によって毒殺されるという事件が起きたんですよね。