当時の高津はシンカーも持ち球のひとつだったが、「100キロじゃあ、打たれるだろう」と疑念を抱いたという。ましてや、思い切り腕を振って、遅い球を投げるのは至難の業に思われた。
どうすれば投げられるか、握りを工夫したり、投げるポイントやボールを放す位置をあれこれ試しながら、一人で研究、工夫を重ねた末、翌93年の春季キャンプの時点である程度使える目途が立った。
同年5月2日の巨人戦でプロ初セーブを挙げた高津は、クローザーに定着し、6勝20セーブでチームのリーグ連覇に貢献。そして、日本シリーズの西武戦でも、3勝3敗で迎えた第7戦、2点リードの8回無死一塁でリリーフ。6つのアウトのうち、4つまでを三振で奪う快投を演じ、胴上げ投手になった。
「切り札というよりも、最後に投げさせるピッチャーという感じだったんじゃないですか。『お前と心中する』と言われたことは一度もない。だけど、後ろの最後を締めくくることはおもしろかった。毎日でも投げたい。毎日でもセーブしたいと思ってました」(自著「ナンバー2の男」ぴあ)。
そんな積み重ねのひとつひとつが、NPB歴代2位の通算286セーブの偉業をもたらした。(文・久保田龍雄)