『母を捨てる』。なんとショッキングなタイトルだろう。
私にも「母」がいるので、私自身も「娘」である。そして、私には自身で生んだ「娘」もいるので、「母」でもある。だからこそ、この本をこわごわと手にとった。
自分が「捨てる」もしくは「捨てられる」どちらの立場にもなり得る私に、ここにつづられた物語は何を伝えてくれるのか。
著者は、ノンフィクション作家の菅野久美子さん。物語は、久美子さんが実の母親から受けた、あまりにもむごい虐待シーンから始まる。幼稚園児の久美子さんに毛布をかぶせ、首を絞めつける。風呂場に連れて行かれ、水を張った浴槽に沈められる……呼吸を奪われる苦しさと死ぬかもしれない恐怖で、久美子さんは泣き叫ぶ。
4歳下の弟が生まれてから母は、久美子さんを“いないもの”として扱うようになった。母が久美子さんに目を向けるのは、虐待をするときだけ。幼い久美子さんは、それを切望した。なぜなら、それが唯一、母の愛を浴びられる貴重な瞬間だったから。久美子さんは言う。
「壮絶でしょう。でも、渦中にいるときは、自分がどれほどのことをされているのか、意外とわからないんですよ。生き延びるのに精いっぱいなので」
いや、わかっていたとしても、久美子さんに何ができただろう。幼い子どもは逃げられない。本能で母を求める。虐待という行為ですら「愛」だと思い込むことで、なんとか自分を保とうとする。愛されていないと認めることは、子どもにとって「死」を意味するからだ。