菅野久美子さん(本人提供)

母をストリップ劇場に連れていった理由

 しかし、その一方で久美子さんは、ノンフィクション作家の活動で、同じ境遇の子たちがたくさんいることを知る。親に苦しんだ子は、親が高齢になったとき、介護や様々な判断を押しつけられ、苦悩する。

 そのため、そんな親の最期を引き受ける『家族代行ビジネス』に注目した。当時まだ陽の目を浴びていなかった彼らの活動をweb媒体や本で積極的に取り上げたのだ。案の定、執筆した記事には、いつも大きな反響があった。

 本のなかで、印象的なシーンがある。久美子さんは母と、浅草のストリップ劇場に出かけた。幼いころは娘の女性性を否定し、久美子さんが大人になってからは、結婚して出産するふつうの女性としての生き方を娘に求める。いわば昭和の化石のような母を、久美子さんは、あろうことか女性が裸をさらす場に連れ出した。

「一糸まとわぬ姿になる踊り子さんは、すべてを見せて、なお尊厳を失わない気高さがあります。踊り子が観客にくれるのは、すべてのものを凌駕する圧倒的な『愛』なのです。私が思うに、母自身、実母から愛されていないという思いを抱えて育ち、教師という職を得たのに結婚して専業主婦となり、心の通じ合わない夫との結婚生活にがんじがらめになっていました。私はそんな母がかわいそうで、だからこそ憎み切れずにいました。母に踊り子さんの『愛』に触れてもらい、私が開放されたように、たとえ一瞬でも母をただの女の子に還してあげたかった」

 そんな久美子さんの思いが通じたのか、踊り子を見て母は、「久美ちゃん、すごくきれいだね」とつぶやく。久美子さんと母の魂が触れ合った、感動的な光景だ。

 映画ならば、これがラストシーンだろう。母娘は抱き合い、互いを許し合ったところでエンドロールが始まる。

 だが、現実はそうはいかない。久美子さんは少しずつ、母との別れの準備を始めていた。

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「母も私も何かが欠けている」