「見て見ぬふり」はできなくなった
<母も私も何かが欠けている。
私たちは欠けた者同士であり、だからこそ同時にお互いを欲する者でもあった。
だけど、もう解放されてもいい。
私たちは自由になってもいい。
私たちは、離れてもいい。>(本文より)
そうして久美子さんは、母を捨てた。
久美子さんはある地方紙にエッセーの連載をもっていて、母は喜んでそれを購読していた。久美子さんはそれを知りながら、エッセーの最終回のテーマを「親を捨てたい子」にして、最後に母のことを書いた。
「エッセーの掲載が、事実上の決別宣言となりました。その日以来、それまで毎週のように連絡を取り合っていた母から連絡はきませんし、私も連絡していません」
なぜ、捨てたのか。なぜ、いまなのか。
「自分を大切にするため、自分の人生を生きるため、ですかね。ずっと母にとらわれて生きてきて、いま捨てないと、一生、母とともに生きなければならないと思ったんです」
本にはこう記されている。
<私は、母から確かに虐待された。愛すべき母から、心身に暴力を受けた。しかしこれまでの人生で、その事実を見て見ぬふりをしていた。それは今の今まで、大人になってからも、ずっと私は母に愛されたいと思っていたからだ。>
人生の後半戦に差しかかり、ついに「見て見ぬふり」を続けることができなくなった。久美子さんの心の中には幼いころの自分がいて、その少女はいまもずっと泣いている。少女に向き合い、救い出してやらなければ、久美子さんは永遠に母という牢獄にとらわれたままになってしまう。