心の中にずっと母がいた
その後、久美子さんは、いまでいう「教育虐待」を受け、小・中学校ではいじめ、不登校を経験した。物語には、久美子さんが母に家庭内暴力をふるったことも率直に語られている。無邪気に幸せでいていいはずの子ども時代に、これほどまでに悲惨なワードが並ぶ久美子さんの人生を思う。
大学に入り、地元を離れて1人暮らしを始めたことで、久美子さんはようやく母親から離れることができた。が、それは物理的な距離ができただけ。
「心の中にはずっと母がいました。母に愛されたい、承認されたいという思いから逃れられず、何をするにも『母がどう思うだろう』と考えてしまう私がいたんです」
愛されて育った子どもほど、すんなりと親離れができる。満たされた子どもは親のことなど考えず、自由に世界に飛び立つものだとは、私自身、親になってわかったことだ。
満たされなかったからこそ難しかった親離れ――。あれだけの虐待や家庭内暴力で徹底的に傷つけ合ったのに、母娘関係は決裂せず、大人になっても続いていく。
久美子さんが社会人になって上京すると、母は「東京観光」と称して度々、やってくるようになり、久美子さんは案内役を買って出た。外食や移動の費用をもってくれるし、洋服やバッグを買ってくれる。それをラッキーだととらえる下心もあったというが、久美子さんの根底にあったのは、東京でがんばっている自分を見てほしい、認めてほしいという気持ちではなかったか。
ライターとして活躍し始めていた久美子さんは、雑誌などに記事が掲載されると、喜び勇んで母に報告した。毎週のようにラインで連絡を取り合ってもいた。母娘には、こんな蜜月もあったのだ。