母を捨てたことで自分を大切にするように
<私は、母が重い。
私は、母と向き合いたくない。私は母の介護もしたくないし、死に目にも会いたくないし、亡くなっても墓参りもしたくない。すべてを、放り出したいのだ。>(本文より)
真っすぐな言葉が、わたしに迫ってくる。「いいよ。捨てていいんだよ」。母の娘として、娘の母として、どちらの立場からも心からそう思えた。そして、気づいた。この本は、久美子さんから母に向けた、壮大なラブレターなのだ。
>あれだけのことをされても、私は、母の愛が欲しかったのだ。
抱きしめてほしかった。
私は母が大好きで、そして大嫌いでもあった。>(本文より)
本のあちこちに、母に向けて愛を叫ぶ久美子さんがいる。
もし、私がこのようなラブレターを娘から受け取ったとしたら……胸を張って、愛に応えようと思う。愛し損ねた娘への、それが唯一の贖罪(しょくざい)だろう。
母を捨ててから久美子さんは、自分の体に向き合い始めた。
「これまで自分のことは、セルフネグレクト気味だったんです。一人だと食事も作る気にならず、ずっとポテチをつまんでいる、みたいな。母を捨てたことで、自分を大切にしたくなりました」
まず、ジムに通い始めた。無心に体を動かしていると、魂の底から何かが湧き上がってくる。スタジオレッスンで、バレエの要素を取り入れたヨガにも挑戦してみた。
「母は私が女の子らしくすることを嫌っていて、子どものころはスポーツ刈りにされていました。三つ編みをしている女の子がうらやましくてたまらなかった。バレエはある意味、奪われた少女時代の象徴なんです」
久美子さんよりひと回り以上年上の私から見ると、久美子さん母娘の物語には、おそらくまだ続きがあるように思える。
「ですよね。正直、私もどうなるかわからないです。でも、この先も『どうやったら捨てられるか』と模索しながら、やっていくと思います」
最後に、久美子さんはこう言った。
「捨てても、母はまだ心の中にいますよ。一生、消えないと思う」
(上條まゆみ)