事務所での打ち合わせ。決断は素早い(撮影/篠塚ようこ)

 所員の一人、小森陽子(38)が語る。

「ものすごく集中力のある、頼もしい指揮官です。でも出張に行った時は、ミカンを箱で買ってきたりして、お母さんみたいなところもあります」

 永山自身、東京・杉並で両親、祖母、弟妹と、同じ敷地に叔母夫妻が暮らす大家族の長女として育った。父は生物物理の研究者、母は元・化学技官というアカデミックな家庭で、子どものころは漠然と生物の世界に進むことを思い描いていた。

 それが建築という「大きな」ものに振れたのは、高校3年の時。通学時のバス停で友人から「建築家を目指す」と聞いた瞬間に、「私もこれだ!」と直感が天から降りてきた。小さな時から物語を想像することが好きで、部屋の片隅にマットレスで作った「ハウス」にこもる時間が至福。理系の教科も得意で、数学が表す数のロマンにも惹(ひ)かれる。早世した父方の祖父は、モダニズムの泰斗(たいと)、谷口吉郎門下で建築家を志していた。自分の中にあるさまざまな要素が一つにハマった時だった。

 建築コースがあった昭和女子大学生活科学部に進学し、卒業後はアトリエ派の青木淳建築計画事務所での修業を選んだ。青木の事務所ではメンバーが4年で独立することが不文律で、永山もそのルール通り26歳で独立。青木から振られた東京・北青山の大型美容室の内装が初仕事となる。

「今から思えば20代で独立なんて無謀でしたが、その時は何も知らないから逆にできちゃったんだと思います。あ、仕事が来た!ということで一所懸命に応えたら、次も来た! その次も来た! と、今もその延長でやっている感じで」

 語り口は明るく軽快だが、その言葉の後には「すべての仕事に100%以上の力で応える」という、永山の姿勢が続く。

 100%以上を表す一例が04年に手がけた「LOUIS VUITTON大丸京都店」のファサードである。この時は京都の中心、四条通りに面した店舗の前面に、液晶ディスプレーに使われる偏光板を使って、シックな黒い縦格子を出現させた。本物の格子ではなく、角度によってガラスに映し出されるバーチャルな格子模様は、エッジを効かせながら、ハイブランドの店舗と古都の街並みをつなぐ仕掛けだった。

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