
「きれいな状態で出てきて、希望が湧きましたよ。『またやっていける!』って」
田谷さんは、工房を「複合型施設」にリニューアルして再建する構想を持っている。敷地を探しているところだ。そこにはギャラリーも併設。若い職人や作家にスペースを無償で貸し出す機会を創出するという。
今は100分の5歩目
2月下旬に岸田文雄首相が輪島市を訪問した際は、なりわいの再建策に関する車座対話に参加。「地震により一皮も二皮もむけた産業に育っていくよう、みんなで協力しながらやっていきたい」と抱負を述べた。
これほどに復興に意欲を見せるのは、彼が「塗師(ぬし)屋」という立場であることが大きい。「総合プロデューサー」である塗師屋が人を束ね、企画、デザイン、販売を一手に引き受けている。
職人の高齢化、担い手不足、バブル崩壊後から止まらない販売数の落ち込み……。じつは地震の前から、輪島塗業界は重い課題を突きつけられてきた。そこに新型コロナが襲い、今度の地震でトリプルパンチ。田谷さんは手を尽くして販路を開拓してきた。21年からは、伝統工芸品を器に使うレストラン事業にも乗り出した。今回の地震でも、柔軟な思考こそが逆境をはね返す力になると考えている。
「まちが壊滅的な状態になって、ある意味、社会的な課題もまっさらなところから再スタートが切れるわけです。まちが生まれ変わる最後の機会だと思う」
3月中旬、彼は東京ドームシティのイベント会場にいた。地元の蔵元や米作り農家、朝市の海産物店の仲間らとコラボし、「食×器」の販売、実演を実現。
「今は、初めの一歩というか、100分の5歩目ぐらいだけど、前に進んでいるという感覚はあります。輪島塗から、仲間とともに能登を元気にしていきたい」
(ジャーナリスト・古川雅子)
※AERA 2024年4月1日号

