大きく傾く本社事務所棟で片付けをする田谷昂大さん。道路事情によりボランティアが入れず、災害ごみの収集が始まった時期だった(撮影/古川雅子)

 元日に起きた地震で工房はつぶれ、一度は「もう作れない」と思った。それでも前を向き、輪島塗再興に奔走する若者が描く未来とは。AERA 2024年4月1日号より。

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 2月上旬、石川県輪島市の工房を訪れた。1階がぺしゃんこにつぶれ、2階部分が地面に「着地」。壁がめくれ、制作中の漆器や道具が寒風にさらされていた。

 それは、200年以上にわたり輪島塗の製造販売を行う田谷漆器店の建物。10代目の田谷昂大(たかひろ)さん(32)は、全壊したすぐそばの事務所棟で片付けの真っ最中だった。

 発災時は市内の実家で被災。崩れた家の窓から、命からがら脱出した。輪島朝市の近くに開所準備を進めていたギャラリーは焼失。田谷さんは、「さすがに心が折れかけた」と述懐した。

「まち全体が壊れてしまったのが衝撃で。7階建ての五島屋ビルが横倒しになっていたのを見た時は、『ああ、このまちじゃ、もう作れないな』と感じました」

制作中の器救出に歓喜

 それでも、「まち全体が沈んでいるからこそ、自分たちがどんどん動いていこう」と、気持ちを切り替えたという。

「僕らが踏み出すことで、『なんだ、あいつらがやるなら、うちも』って、周りに波及していく起点になろうと思ったんですよ」

 水道インフラは寸断。海岸の隆起で故郷の風景も一変。日々延々と続く、がれきの処理……。なぜ前を向くことができたのか。

「もし建物だけ残ったとしても、人がみんな亡くなっていたらどうしようもなかった。逆に僕らは、職人も営業も生き残った。人さえいれば大丈夫だよなと思えたんです。人には技術も思いも全部が蓄積されていますから」

 田谷さんは発災から2週間後、いち早くクラウドファンディングを立ち上げた。3300人以上から合わせて6500万円を超える支援を達成した。また、2月下旬には工房に重機が入り、制作途中の漆器や客先から依頼された修理品を救出。見習い職人の土居和佳奈さん(23)は、年末に中塗り(上塗りの前段階の工程)したぐい呑みを目にした時、胸をなで下ろしたと話す。

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