インタビューに応じるさだまさしさん(撮影・写真映像部 上田泰世)

――コンサートのテレビ放送が昨年、ありました。さださんはこの曲の前振りのトークで、一瞬、声を詰まらせ、天をあおぎ、涙ぐんでいるようでしたが……。

 昨年6月のコンサートの中継でしたが、「まだ、戦争が終わらないのか」という絶望感がありました。欧米も(支援に)くたびれているというし、この瞬間にも誰か殺されているっていう、切なさですね。また、僕はただの歌唄いで、何もできないっていう無力感もあります。一方で、コンサートホールのお客さんとは「同じ思いでいるはずだ」という信頼感もあります。そんな感情がないまぜになり、胸が詰まったのですね。

――ウクライナ人の反響では、「遠くから」支援してくれているのがありがたい、というのもありました。

「遠さ」にいらだちもあります。もしアジアで同様のことが起こったなら、もっと身近に感じられるのでしょうけれど、我が国で関心が薄くなっていることに悲しみはありますよね。

――さださんが、最初にウクライナについて知ったのはいつですか。

 僕らの世代は、ビートルズの「Back in the U.S.S.R.」です。歌詞に、「ウクライナにかわいい女の子たちがいてノックアウトされた(the Ukraine girls really knock me out)」とあるのは有名だったので、僕も「この曲のUSSRはウクライナのことだ」と思っていました。

――今回、ロシア兵に素手で立ち向かったのは、そのころ少女だった世代ですが、この女性に対する印象は。

 おばちゃんになった彼女のパワーには、勇気を感じます。日本でも暴走族を叱ったりする気骨のあるおばちゃんが昔は、いましたよね。「私は間違ってない」という確固たる哲学をこの女性からは感じます。彼女をみて、ウクライナという国は力強くて、好きだなというふうに思いました。戦車を手で押しとどめようとした人もいましたが、僕も、その立場だったら、無駄なのは分かっていても立ちはだかると思います。ただ、そうした正義が必ずしも通用しないということも今、感じていますけれど。

――この女性の住んでいる町はロシア占領地となり、女性の行方も不明です。

 寂しいですね。いや、戦争とは常にそのようなものではないでしょうか。(出身地の)長崎では、7万人がいっぺんに死んでいるわけですから。かくべつ悪いことをしていない市民が苦しむのが戦争です。

さだまさしさん(撮影・写真映像部 上田泰世)

――今回の戦争は、どう見ていますか。

 始まり方からみて、「進出」ではなく「侵略」でしょう。強権さが目に余ります。ロシアは、ウクライナのキーウのほうが起源の国だから、故郷に帰りたいというような気持ちはあるのかもしれないが、もっと平和的なやり方があるはずです。ウクライナの人々が頑張り続けるのは、(2014年に)クリミア半島などをロシアに占拠され、持っていかれた、ということがあるのでしょう。

 ウクライナもその一部だった、ソ連が解体した時に(独立をめぐる協定などの)問題があったという人もいます。しかし、独立し別の国になったウクライナを、もと同じ国だったから、併合するっていうのは、乱暴すぎる。これは明らかな侵略だから、ロシアが勝ってはいけないと思います。じゃあ、お前に何ができるのか、と問われれば、何もできないから、歌を歌っているのです。でも、侵略している国は、もとの自分の領土まで帰ってもらわないと、これはダメだと思いますね。(後編【音楽は無力なのか?「さだまさし」の曲がウクライナ語に翻訳 「弱きを励ますのが歌」本人が語る役割】に続く)

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 「キーウから遠く離れて」を監訳した、M・リャプチュク・ウクライナペンクラブ名誉会長の話  
ウクライナの実話に基づく貴重な歌だ。それも、主題はヒーローではなく、ごく普通の市民。その抵抗する姿を描いてくれた。戦争は3年目に入り、海外の人々は、ウクライナでの悲劇に「慣れて」しまい、まるで映画のシーンのようにとらえる傾向が生まれている。それが、ロシアの狙いでもある。この歌は、人々の耳目をその厳しい現実に改めて向けさせてくれるもので、私の読者にも広めてゆきたい。

(岡野直)