これに対して、実際の核作戦計画は運用政策と呼ばれる。このように書くと、運用政策とは「裏マニュアル」のようなもの、すなわち宣言政策には書いていない「本当の核使用基準」が記されたリストが想像されるかもしれないが、現実の運用政策とはこのようなものではない。最高司令官である大統領からの命令を達成するために、どの程度の核攻撃を、どのような手段で、いかなる目標に対して加えるのかを定めた具体的なターゲティング戦略が運用政策の本質である。

 つまり、国家の首脳が核使用という究極の決断を下すときには、頼りになる「裏マニュアル」などというものは存在しない。平時に軍が作成した運用政策の中からどれを実施させるのかは、一人の政治家の決断にかかっているのだ。例えばロシアが戦術核兵器の大量使用によってあくまでも戦争を継続しようとするのか、あるいは限定核使用によって戦争終結を強要しようとするのかは、ある特定の条件下におけるウラジーミル・プーチンという政治家の決断次第であって、それ以前において明確なことは(プーチン本人にさえ)わからない。宣言政策とはあくまでも宣言に過ぎないのであって、実際の運用政策とは基本的に紐づいていない(紐づけようがない)のである。

 ただ、ある国がどの程度の核使用オプションの幅を持っているのかは、ある程度まで外形的に把握しうる。例えば北朝鮮が保有する核弾頭は2022年時点で最大で45~55発、現実的には20~30発程度と見積もられているから、米国に先制核攻撃を仕掛けてその核戦力を一掃するような戦略を採用することは物理的に不可能である。とすると、北朝鮮指導部の思惑がどうあれ、少数の核弾頭と運搬手段の生残性を確保して米国にとって「受け入れ難い損害」を惹起できる能力を持っておくこと─いわゆる最小限抑止戦略が現時点での可能行動であると想定できよう。

 一方、ロシアは考えうるほぼ全ての核使用オプションを持っている。例えばロシアの戦略核戦力は米国よりやや劣るものの世界第2位の規模を誇り、「大まかな均衡(ラフ・パリティ)」下における相互確証破壊を達成している。戦術核戦力を含めた非戦略核戦力(NSNF)については1800発程度と世界最大規模であると見られており、その運搬手段も弾道ミサイル、巡航ミサイル、戦術航空機と一通り揃えている。可能行動という観点から言えば、核戦略理論が想定するあらゆるオプションを行使可能であるということになる。

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小泉悠

小泉悠

小泉 悠(こいずみ・ゆう) 1982年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、同大学院政治学研究科修了。政治学修士。民間企業勤務、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員、公益財団法人未来工学研究所特別研究員を経て、東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)准教授。専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)、『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』(ともにちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)、『ウクライナ戦争の200日』『終わらない戦争』(ともに文春新書)などがある。

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