このようなジレンマは、冷戦初期の米国が直面したものでもあった。当初、核戦力で圧倒的な優位を誇っていた米国は、ソ連によるあらゆる侵略に対して全面的な核報復で応じるという大量報復戦略を採用していた。しかし、ソ連が予想よりも早く核兵器を実用化し、その配備数を急速に増加させていくと、こうした一方的な核抑止戦略は破綻する。代わって登場したのが、相手の侵略の度合いに応じて対応を細かく変化させられるだけの核・通常戦力を保有しておくという柔軟反応戦略であり、冷戦期の米国における軍事戦略の基礎となった。

 これと同じことが、冷戦後のソ連の軍事戦略でも繰り返された。1993年に公表されたロシア初の『軍事ドクトリン』では一種の大量報復戦略が採用されていたが、小規模紛争のために人類が破滅しかねない全面核攻撃をロシア政府が決断できる(あるいは西側にそのように確信させられる)見込みは薄かった。核戦略の用語で言えば、「抑止の信憑性」が担保できなかったということになる。

三つのシナリオ

 これに対して、1997年のバトゥーリン国防会議書記の軍改革案では、戦争終結のために戦略核兵器を限定使用するという考え方が打ち出された。ただ、これはあくまでもバトゥーリンとアンドレイ・ココーシン第一国防次官による私的な案であって、実際にロシアの核戦略として公式に採用されたのかどうかは明らかでない。

 ただ、3年後の2000年に公表された改訂版の『軍事ドクトリン』では、核使用基準に関する記述がたしかに変化した。すなわち、(1)ロシア連邦とその同盟国に対して核兵器を含む大量破壊兵器が使用された場合には核兵器を使用する、(2)通常兵器による大規模侵略に対しても核兵器を使用する、とされたのである。このうち、(1)は古典的な核抑止を示唆するものだが、(2)にはより幅広い解釈の余地がある。大雑把に類型化してみると、次のようなシナリオが考えられよう。

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開戦・参戦阻止