引退後は、ロッテヤクルト、ダイエー、巨人で投手コーチを歴任。ダイエー時代の99年にはチーム防御率を4点台から3点台に引き上げて優勝をもたらし、巨人時代の09年にもチーム防御率2点台の公約を実現し、日本一に貢献した。

 これらの実績が「自分の考えをしっかり持っている」(加地隆雄球団社長)と評価され、翌10年、投手力強化を急務とする横浜の新監督に迎えられた。

「やるからには強い気持ちを持ってやらないと」と02年以降の8年間で最下位6度のチームの再建に乗り出した尾花監督だったが、1年目は3年連続のシーズン90敗(95敗)を記録して優勝した中日に32ゲーム差の最下位。翌11年も04年以来の開幕戦勝利を挙げ、5試合を消化した時点で阪神と同率首位に立ったが、その後は先発投手陣が総崩れとなり、4年連続最下位でシーズンを終えた。

 さらに3年契約だったにもかかわらず、シーズン後、球団がDeNAに身売りしたことから、「新監督を」というDeNA側の意向により、最終年を待たずして退任。「ファンの期待に応えられず申し訳ない。来季、育ってきた選手たちと一緒にやりたかったが、仕方がない」と未練を残しながらユニホームを脱いだ。(文・久保田龍雄)

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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