
イスラエル軍による攻撃が続くガザ地区。実は、同じパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区もイスラエルによる攻撃を受け、絶望と隣り合わせの日常を送る。フォトジャーナリスト・佐藤慧さんが報告する。AERA2024年3月11日号より。
【写真】破壊された自宅の前に立つサミールさんはこちら(他7枚)
* * *

ズズズ……という重低音が上空にせまる。2023年12月28日、午前1時半。
パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の北部の街、ジェニンの一角に広がる難民キャンプでは、およそ1万4千人がひしめき合うように暮らしている。1948年、イスラエル建国時に土地を追われ、家を失った人々とその子孫だ。テント張りの仮住まいは、70年以上という歳月を経て、密集したコンクリートの住宅地へと姿を変えていた。そこは西岸地区に点在する難民キャンプの中でもひときわ貧困率、失業率の高い地域だという。

そのキャンプがまさにその夜、イスラエル軍による攻撃を受けていた。空気を震わす重低音のノイズは、空中を漂う監視ドローン(無人機)が発するものだ。散発的な銃声の合間に時折大きな爆発音が響く。日中、隣街で6人が殺されたばかりだった。

世界の無関心の傍らで
「オレたちはここでは“最下層”に位置するんだ」と、西岸地区出身の男性が語る。
「イスラエル人の中でも、白人がまず優位であり、ほかの有色人種は二級市民として扱われる。そしてイスラエル国内の居住権を持つアラブ人はさらに下。西岸やガザに暮らすオレたちは犬猫以下の扱いでしかないんだ」

ヨルダン川西岸地区──。三重県と同程度の面積と形容されることが多いが、実態は全く違う。イスラエルが、「テロ攻撃から自国民を守る」という名目で建設を続けている分離壁が、この土地を切り刻んでいるのだ。
第3次中東戦争(1967年)以降、イスラエルはヨルダン川西岸地区内に数多くの「入植地」を築いてきた。占領した土地にイスラエル国籍の人々を送り込み、自国民が暮らしているという既成事実をつくるのだ。そして「入植者を守る」という建前で軍隊を駐留させていく。パレスチナ自治政府が行政・治安のどちらも管理している範囲は、西岸地区の18%程度に過ぎない。軍事的に重要な高台や地下資源は、瞬く間にイスラエルにより奪われていった。