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「ニュースとわたし」というお題が出されたとき、じつはこの個人的な体験について書くことを少しためらった。今書いていることはどちらかというとニュースを「見て」感じたことではなく、ニュースに「関わって」感じたことだからだ。それでも最近見聞きし、体験したことが、私にこのことを約13年ぶりに語らせるに至った。
戦争のニュースが流れれば、国によって片方の国の犠牲者については半生を詳細に語る一方で、もう片方の国の犠牲者は人数だけがニュースとなる。完全に公平なニュースというのは不可能で、為政者や権力者の影響を免れることは難しい。
有名人が自殺をしたら、議論はニュースで伝えられることだけで完結できなくなっている。SNSでさまざまな人がさまざまなことを、時には憶測も交えて語るからだ。
人の死と人生を語るのはとても難しい。それを本人が望んでいるかはもう分からない。語り継ぐことで教訓にしてほしい・世を改めてほしいと考える人もいれば、もうそっとしてほしい人もいる。要望は、亡くなった方々の人数分あるだろう。
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それでも、私たちは同じ過ちを繰り返さないために、歴史としてそれを刻んで共有し、後世に伝えるために語り継ぐのだろう。ただそれが、非業の死を遂げた故人にとって差し支えのないことなのかは分からない。下手をすれば誰かの主張の材料や政治の道具にされる危険性すらある。私たちは日々、亡くなった人のニュースを目や耳に流し込まれる。そのことの重みを考える「いとま」は、せわしない日々の中にはなかなかないのが現状だ。
ニュージーランドで亡くなった彼女のことを思い起こしたのは元旦に起きた能登半島地震がきっかけ。家族ですき焼きを始めようとしたとき、震度5強の揺れを経験した。ミシミシと音を立てる木造の実家の居間で、死を覚悟した。幸い、家に損傷はなかったが、初めて体験した震度にようやく危機感を抱き、東京に戻っていそいそと防災キットを揃えるに至った。
わたしは冒頭で13年前の地震について「薄情なことに、自分の中で少しずつ傷が癒え始めていた」と書いた。じつを言えば、傷が癒えるどころか、あれほど悲惨な映像を何度も見ておきながら「いつか、いつか」と思いつつ、ほとんど備えをしてこなかった。彼女や多くの犠牲者が残してくれた教訓を13年間も無駄にしていたのだ。
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為政者や権力者の影響を免れられない世の中に、犠牲となった人の半生をニュースとして投げ込むこと。そして、投げ込んでおきながら自らの教訓にはできなかったこと。この二つの点において、私がやったことは矛盾に満ち、勝手で、彼女の尊厳を傷つけていたかもしれない。
本当の恐怖を身をもって体験しないと、行動できない情けなさ。今のままの私に人の死を語る資格はないけれど、それでもこの世の全ての人がニュースを必要とする以上、「語らない」と簡単に結論をつけるのではなく、どうすれば故人の尊厳を守りながら教訓を活かせるのか、時間をかけて向き合っていきたい。
最後に。もしも私が不慮の事故などで命を失ったら、私を知る人は私について語ってもかまわない。教訓になるかは分からないけれど、私は、誰かの役に立てる可能性を残せたら本望だと思っている。
「かがみよかがみ」での掲載ページはこちら(https://mirror.asahi.com/article/15186553)。
「AERA dot.」鎌田倫子編集長から
なるほど、町中華さんは「ニュース」に関わったのですね。ニュースにかかわった経験、風化していく経験、直接の体験、その3つがあることで、文章を立体的にみせています。自身のニュースとの距離感や受け止めの変化を通して、「語る」「発信する」意味を考えさせられるエッセイです。
文章を書くことは自己表現でありながら、読み手に影響を与える行為という意味でコミュニケーションでもあります。このエッセイの執筆を通して、表現のその先を意識したのではないでしょうか。誰かに届ける手ごたえも大事にしたいですね。