ある日、岡野さんは、仁徳天皇が詠んだとされる古事記の古い歌謡を解釈していた。
〈おしてるや難波の崎よ出で立ちて我が国見れば淡島(あはしま)おのごろ島檳榔(あぢまさ)の島も見ゆさけつ島見ゆ〉
大和と難波の国境の山の上から遠く海を見渡し、天皇が力ある歌で祝福する内容だった。
枕詞の「おしてる(=照る)」は、海上に太陽の光がさんさんと照り、水面を圧して光が輝く情景を表している。
雅子さまは岡野さんに、こう尋ねた。
「この『おしてる』は、今の和歌に詠み込んで使ってよいものなのでしょうか」
岡野さんは、思わぬ質問にハッとした。
「お使いいただいて結構ですよ。ただし大変な古語ですから、現代和歌に使ってそこだけ違和感があったら、それは失敗です」
こう答え、参考のために「おしてる」を上手に詠んだ和歌を2首、暗誦したという。
「よく分かりました」
雅子さまはそう答えたものの、岡野さんは内心、本当にお分かりになったのだろうかと感じていたという。
しかし、その半年後、岡野さんの不安は喜びへと変わった。
歌会始のために雅子さまが詠んだ10首のなかで、雅子さまは、「おしてる」を見事な形で和歌に調和させていたからだ。
陛下と「おそろい」となった恋の歌
天皇陛下もこの時の歌会始で、雅子さまと過ごした同じ夜の情景を詠んでいた。
〈我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に〉
皇室の和歌の御用掛を務めた故・岡井隆さんも、このときのおふたりの和歌について、記者にこう語っていた
「天皇家でも、恋人同士で詠み交わされる恋の歌である相聞歌は数多く詠まれてきました。皇族方も皆さんも、気構えずに恋の和歌をどんどん詠んでいただきたい」
「お妃教育」が終了した後も、雅子さまの希望で、月に一度ほどの岡野さんの講義は続いた。雅子さまはそのたびに、両手いっぱいに資料の本を抱えてきたという。