女であることの悲しみ
ということで、ここから朝ドラ成分について解説していきたい。「光る君へ」で感じたのは、「女であることの悲しみ」に自覚的なドラマだということだ。初回、子役が演じたまひろの話から始める。
まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)は博識だが無官、生活は苦しい。だが、しっかり外泊する。ナレーションで「この時代、男が嫡妻のほかに妻を持つことは珍しくなかった」と解説が入ったが、見ているこちらは令和の住人、「就職が先では?」と思う。その思いを代弁するかのように、まひろが母(国仲涼子)に不満をぶつける。「母上が毎日願掛けをして、父上のことをお祈りしているのに、なぜ父上は今宵も家をあけて平気なの?」
平安貴族の夫婦の形は今と違う。「光る君へ」は違う形を前提に、男女のありようを主題の一つとするのだろう。だが、あえてヒロインに父親の外泊を抗議させる。男性と女性の力の不均衡への違和感、それがテーマになるのだな。もう一つの場面と合わせ、勝手に確信した。
それはまたしても無官で終わった為時が、たそがれて読書するシーンだった。まひろが近づき、何を読んでいるのかと尋ねる。『史記』の本紀だ、と為時。まひろは読んでくれとねだる。為時がまひろの弟も呼ぶが、遊んでいて見向きもしない。為時はこう言う。「おまえがおのこであったらよかったのにな」
朝ドラ「カーネーション」(11年度放送)を思い出した。コシノ3姉妹を育てた小篠綾子がヒロイン糸子のモデルだが、その子役時代に、これとそっくりな場面があった。糸子は気の弱い父に代わり、呉服屋の掛け金を回収する。度胸と機転でどんどん回収する。父が言う。「おまえが男の子やったら、どんだけおもろかったやろうのう」
私は「一番好きな朝ドラ」を聞かれるたびに、「カーネーション」と答える。「女であることの悲しみ」を通奏低音に、切ないけれど胸がすく、そんな朝ドラだったからだ。「光る君へ」に同じ匂いを感じたし、それは2話以降も変わらなかった。