
「娘が働く」は顔に泥
2話の冒頭、まひろは成人の儀式を終える。代筆という仕事をする「働く女子」になっていた。恋に悩む男性に、和歌などをさらさらと書いて渡す仕事だ。ただし姿は見せず、低い声で客とやりとりをしている。男性を装っての仕事なのだ。
ところが、この仕事を父から禁じられる。正式な職を得られそうな父親が、〈娘が働く=自分の顔に泥を塗る〉と認定する。「代筆仕事などにうつつを抜かすようなこと、あってはならぬ」という父に、まひろが叫んだ。「代筆仕事は、私が私でいられる場所なのです」
朝ドラ成分の叫びだった。朝ドラヒロインに引かれるのは、「自分が自分でいられる」場所を探しているからだ。それを女だからと奪われるまひろの無念、「女である悲しみ」がしんしんと鳴っている。
この感覚は、まひろだけのものでない。道長の姉・詮子(吉田羊)は円融天皇(坂東巳之助)との間に男子をもうけるが、天皇の心は別の女性に移り、今は全く相手にされていない。詮子は兄弟3人の中で唯一心を許している道長にこう語る。
「この世の中に心から幸せな女なんているのかしら。みーんな男の心に翻弄されて泣いている」
と、ここで少し、道長とまひろのラブの話。2人は幼年期に出会い、互いに引かれ合う。道長が引かれたのは、漢文に長け、率直なまひろ。だが、この2人、結ばれないとわかっている。
自分が自分でいたい
道長は父のライバルである左大臣の娘倫子(黒木華)と結婚するのだ。この記事は5話まで見たところで書いているが、まひろと倫子はすでに友人のような関係になっている。ただし令和の目には倫子が「腹の読めない女」に映り、気がかりだ。道長&まひろ&倫子の関係はどうなるだろう。と、これも従来型大河ファンより朝ドラファン向きの話では、と思いつつ。
まひろと道長が再会した時、まひろは代筆について、「それは楽しい仕事なのよ」と語る。道長は「へー、この世には楽しいおなごもいるのか」と意外そうに返す。そして、こう続ける。「俺のまわりのおなごは皆、寂しがっている。男は皆、偉くなりたがっておる」
この台詞こそ、我が朝ドラ心だと思った。そう、偉くなりたいんじゃない、自分が自分でいたいんだ。大石さん、すごい。
最後になったが、脚本はあの大石静さんだ。大河は「功名が辻」(06年)に続いて2度目、朝ドラも2本(96年度「ふたりっ子」、00年度「オードリー」)書いている。朝ドラ心がわかり過ぎている大石さんの描く大河だから、私はただただついていこうと誓うのだった。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2024年2月26日号より抜粋