今日は2月22日、いわゆる猫の日だ。古今東西、猫という生き物は人を虜にしてきたようだ。が、時に天敵も現れる。あの織田信長は、猫と愛猫家にとって非常に恐ろしい存在だったようだ。
【写真】「猫を差し出すなんて」愛猫家の気持ちはいつの時代も同じ
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織田信長は猫の天敵――といえば、驚く人も多いだろう。どういうことか。
戦国時代、奈良の大寺院である興福寺の塔頭、多聞院に長実房英俊(1518〜96)という学識ある僧侶がいた。
英俊は猫や犬が大好きで、彼の日記には多くの猫犬が登場する。猫が子どもを産んだと聞くと喜び、犬が鉄砲で撃たれたと聞くと悲しんで、日記に「不憫だ」と書き記す。
信長は無類の鷹狩りマニア
世は信長の時代。あるとき、信長の家来で大和国の国主、筒井順慶から命令が来た。
「奈良中の猫やニワトリを差し出すように。これは安土からの命令である」
安土は信長の居城。だから、これは信長の厳命である。当然、愛猫家たちは動揺し、不安になった。
なぜ信長はそう命じたのか。信長は無類の鷹狩りマニアで、城中におそらく数十羽の鷹を飼っていた。鷹は生き餌を好む。だから、手っ取り早く身近な猫やニワトリを生き餌にしようというのだ。
そうだ、興福寺に駆け込もう
そこで、奈良の愛猫家たちは名案を思いついた。
――興福寺に匿ってもらおう。そうすれば、うちの子は大丈夫なはず。