車いすユーザーになると、途端に行動範囲が狭められる現実を知り、社会から取り残されている焦燥感に駆られた。しかも自分の病気はどのように進行するのか、福祉機器はどんなものがあるのか、福祉制度を利用するにはどのような手続きが必要なのか。そんな疑問を解消するため、同じ病気の人たちと情報交換したいと患者の会・PADMの発足に関わった。診断時、医師には「生きている間に同じ病気の人に会うことはない」と言われたが、ネットで発信すると数十人が集まった。
その直後、医学雑誌で遠位型ミオパチーに対するシアル酸補充療法の有効性がマウス実験で示されたという記事を目にした。未来に光が射した気がした。
発表したのは国立精神・神経医療研究センターの医師・西野一三(60)らのグループ。西野は「治験に持ち込むには患者の協力が必要」と告げた。
患者の会は、即座に行動に移す。遠位型ミオパチーを国の指定難病にしてもらうことと新薬の開発を求め、全国で署名活動を開始。織田らは治療費も助成されていなかった。
各地の街角に立ち、ビラを配り賛同者を募った。徐々に協力者が増え、6年間で204万人を超える署名を集め厚生労働省に提出。織田はその間、関係官庁に幾度となく陳情に出向いた。そしてついに2015年1月、指定難病に指定され、新薬が開発されれば、医療費助成を受けることが可能になった。
一方、新薬の開発にこぎつけるまでにはさらに困難を極めた。製薬会社を回り新薬の開発を打診するもののことごとく拒否された。製薬会社にすれば創薬には莫大(ばくだい)なコストと時間がかかり、400人未満の患者が対象では採算が取れないからだ。
そんな時、経済誌で希少疾病薬品を得意とするノーベルファーマの記事を目にした。一縷(いちる)の望みを懸け訪問。当時対応した同社社長の塩村仁(69)が述懐する。
「話し方は穏やかですが、何か迫力のようなものがあった。ただ、医薬品の実用化には莫大な資金が必要なので、助成金があればできると言ったところ、彼女は本当に国の助成金を取り付けてきたんです。そこまでされたら開発しないわけにはいきません」