デンマーク留学を経験し 福祉の援助を獲得する人に
織田は関係者らと関係省庁を訪ね、助成を取り付けることに成功、東北大学による治験が開始された。織田は症状が進んでいるため治験には参加できなかったが、10年以上の歳月をかけ新薬の開発に成功。23年7月、厚労省に申請し今は審査中だ。
「人間が作った制度は人間が変えられる」と信じ、国の制度に風穴を開けてきたが、その間、様々な批判が織田に届いた。
「希少疾患患者に薬は贅沢(ぜいたく)品」「税金の無駄遣い」。
それでも怯(ひる)まなかった。自分の後ろには何千人、何万人の障害者や難病患者が控えていると考えると、後ずさりするわけにはいかなかった。
「まだ、国の指定を受けていない難病は7千以上あると言われています。薬を待ち望んでいるすべての患者の手元に一日でも早く届くよう、私たちの活動がモデルケースになればいいな、と」
織田が、活動的な理由はもう一つあった。30歳の時にダスキン愛の輪基金でデンマークに留学し、現地の障害者の活動を知り触発されたことだ。3歳の息子と夫を日本に残すのは忍びなかったが、家族が背中を押した。ヘルパーとして同行した妹の金井節子(40)は、デンマーク留学で姉は変わったと証言する。
「姉は福祉の援助を受ける人から、獲得する人になった。当事者意識が強く芽生えたと思います」
福祉先進国のデンマークでは車いすユーザーが当たり前のように街に出て活動し、障害者一人一人に福祉車が国から貸与されていた。特に影響を受けたのが、当時の筋ジストロフィー協会会長の言動だった。彼は織田にこう告げた。
「要望を出したり交渉をするときに、ユーモアを交えること。面白い団体だと思ってもらうと、耳を傾けてくれる人が増える」
同情で支援を受けるのではなく、いかに健常者を巻き込みながら「面白そう」と思ってもらえる活動が出来るか。今もこの考えが心根にある。