きっかけは、彰子が自分の部屋に置いていた『源氏物語』だった。道長はそれに目を留め、折しも御前にいた作者の紫式部をからかったのである。『源氏物語』は、色好みの主人公・光源氏の面白おかしい恋愛遍歴を綴った物語だと、道長は思っていた。彼は『源氏物語』を読んでいたか、少なくともあらすじは知っていたのである。そこで手頃な紙を探し、折よく彰子のために用意されていた完熟の梅の実の下からすっと懐紙を抜き取ると、すらすらと和歌を書いて紫式部に示した。道長は日常生活のなかで、こうした風流を楽しむ人物だったのである。

 しかもその和歌は、梅の実と紫式部を表裏に掛けた優れものだった。梅は甘酸っぱく、人に好んで折り取られる。同様にお前は「好きもの」で、男から好んで誘われるのだろうと。『源氏物語』の作者であるからには実際の恋愛経験も豊富なのだろうという、からかいである。現代の世でこうしたことを小説家に言いかけたりしたら、即座にセクハラと指弾されよう。道長の場合は紫式部のスポンサーでもあったので、パワハラでもある。

 しかし、紫式部はいわゆる〈#わきまえない女〉だった。大人しく黙っているのではなく、即座に和歌で言い返したのである。ただ、平安時代にはこうした切り返しこそが女房としての〈わきまえ〉の見せどころとされていたから、これは道長の期待に応える態度でもあった。彼女は道長の和歌の隣に、これもさらさらと書きつけたのだろう。彼の和歌の趣向をそのまま受けて、梅の実と自分を掛けた和歌である。梅の実と言っても、まだ枝を折られてもいない場合には、酸いかどうかはわからない。そのように、自分は男に手折られたことがない――男を知らない〈乙女〉。なのに、「好きもの」だなんてどういうことでしょう? 紫式部が過去に結婚し子供ももうけていることは、その場の誰もが知っている。だからこの和歌は、「心外ですわ」とすねてみせる紫式部の演技も含めて、道長の大笑いを誘ったはずだ。

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二人の間の『源氏物語』風の空気