「なぜ人を殺してはいけないのか」が問われたことがあった。考えるまでもないと、ほとんどの人は思ったはずだ。だが理由を説明しようとすると、陳腐な言葉しか出てこない。
 平和も同じだ。平和が大切だとみんな思っている。戦争はいいものだという奴なんていない。それでも、なぜか戦争はなくならない。殺人がなくならないように。
 いや、平和の大切さを実感するのは、さらに困難かもしれない。何しろ世界では今も「正義のための戦い」が行われている。そして物語の中の戦争は、ドラマチックでかっこよかったりする。
 著者はコミュニケーションの専門家らしい切り口で、戦争が起きるメカニズムを分かりやすく説き明かす。そこには民衆を戦争に駆り立てる世論を生み出すさまざまなテクニックがあった。特に著者が注視するのは、戦争イデオロギーを浸透させるイメージ操作だ。たとえば「先制攻撃」に相当する語が「積極的平和」と訳されたり、自分たちの被害を諸外国に強く訴えるために「民族浄化」の語が選ばれる。選挙活動を広告代理店が請け負うのはふつうだが、今や戦争報道もそうなっている。善良な民衆の感情を昂ぶらせる映像や物語は、これ見よがしのプロパガンダよりもずっと巧みな戦争誘導システムの一環だ。
 人々を戦争へと駆り立てる言葉や映像は派手だし、拡散の背後では大きな資本が動いているらしい。それに対して平和を語ることは地道で、ややもすれば紋切り型に陥りやすい。ましてや日本では、自国の戦争の記憶は遠くなりつつある。それを危惧する声は多い。
 だが著者は、生身の人間が語るなら、「体験者ではない世代」の語り手は、むしろ「戦争体験」に距離をおき、より力強くリアルに平和の大切さを訴え得るとする。それを希望的観測ではない、現実にするのはわれわれだ。
 ふつうの市民の視線で書かれた本書には、柔軟で粘り強い平和への思考が込められている。

週刊朝日 2015年9月4日号