花山院誤射騒動に端を発する伊周・隆家の左遷事件(長徳の変)だ。摂関家内部での権力争いも絡んでのこの出来事は、彼女にも衝撃を与えたはずだ。『源氏物語』での光源氏のモデルには、配流の憂目にあった伊周が念頭にあったとの指摘も、なされているほどだ。いずれにしても疫病の流行に加えて、都での醜聞からのがれるためにも、新しい風が期待された。

 式部の越前行きは二十代の半ばのことだったが、当該期、結婚相手となる藤原宣孝との出会いもあった。彼は筑前守などの経験もあり、文人肌の貴族で、父為時との親交もあった。いささか年長ではあったが、気になる男性という程度だったようだ。このあたりは多くの紫式部の関連論文や研究書からの、公約数的理解によっている。ともかく二十代半ばの越前への旅立ちは、実際には短い期間ではあったが、彼女に都では得難い体験を与えてくれたことは、間違いなさそうだ。

“泡沫の恋”事情

 式部は宣孝との結婚以前、“初開の男”がいたとされる。二十代前半の頃だ。けれども、その恋は成就せず、彼女は父為時とともに越前へと赴き、以前から面識のある年上の宣孝と結婚することになる。

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宣孝との死別の後にも更なる男の影