式部はその後、宣孝と死別した三十代後半に出仕する。彼女は出仕したものの、ほどなく里へと下がったことがあった。里下がり後、三か月ほど出仕しない彼女の身を案じた同僚からの歌も、届けられた。そんな時期に彼女は「古里にかへりて後、ほのかに語らひける人に」(実家に戻ってこっそりと逢った男性に)「閉ぢたりし 岩まの氷 うちとけば をだえの水も 影見えじやは」(これまであなたを拒んでまいりましたが、全てを許したのですから、あなたが訪れる流れはまさか絶えてしまうことはないでしょうね)という歌を残している。『紫式部集』に見えるその歌の相手の男性が誰かは不明だ。

 種々の憶測のなかには、出仕下がりの恋の相手を藤原保昌と考える向きもある。むろん推測の域を出るものではないが、そうであっても不思議ではない。源頼光と並び平安武者の代表とされるこの人物は、盗賊「袴垂」との逸話もある(『今昔物語』二十五─七)。彼だとすれば紫式部のライバル、和泉式部の夫となった人物で、道長時代に活躍した王朝武者だった。その点では式部との間に接点がなかったわけではない。とはいえ、それは後世のわれわれが“あらまほしき”願望だったかもしれず、真偽は不明だ。けれども『式部集』が伝える歌の場面からは、この時期の里下がりに男の影を見出すのは、無理な話でもあるまい。そこに“泡沫の恋”を想像することも的外れではなさそうだ。

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