紫式部図 伝谷文晁筆
出典:国立博物館所蔵品統合検索システム
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 王朝文学は色恋沙汰を抜きにしては語れない。それはその担い手たる女房たちがその場に身を置くことでの経験が大きいからである。「恋は曲者」(謡曲『花月』)の語があるように、自身がその虜になることもあった。紫式部は、色恋に酩酊できないタイプで、その自覚が彼女を散文へと走らせた。しかし、同時に彼女はそれなりに愛欲の世界も心得ていたので“仮想現実”を伝えることもできた。関幸彦氏の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、紫式部自身の色恋について紹介する。

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権門の喧噪ーー二十代の式部

 式部の青春時代は、「永祚」(九八九)・「正暦」(九九〇〜九九四)・「長徳」(九九五〜九九八)が該当する。もう一人の主役道長は、三十代初頭にさしかかり、政界にあって順風が吹きつつあった段階だ。いずれの年号も一条天皇のものだ。彼女が二十代の前半の時節、ある男性との恋愛関係が推測されるという。「おぼつかな それかあらぬか 明ぐれの 空おぼれする 朝顔の花」(私との関係を持ちながら、好きか嫌いかはっきりと明かさずに、翌朝に離れていったあなたの気持ちはどうなんでしょうか)(『紫式部集』)。多感な青春時代の一齣として、彼女にも春が訪れたようだ。だが、式部の結婚以前についての具体的な恋愛事情は、右に示した歌以外について定かではない。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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