これが千葉県北東部の限界分譲地において、開発時期が70年代であるにもかかわらず、80年代末以降に建築された家屋ばかりが見られる理由である。少なくない分譲地は、開発から10年以上のタイムラグを経て、バブル期の地価高騰時になってようやくまともな実需が発生したのだ。
だが、それでもすべての区画が再利用されることはなかった。地価高騰の受け皿としてある程度は機能したものの、新たなニュータウンとしての活路が見いだされたところはほとんど存在しなかった。これらの投機型分譲地は、利便性は当時も今も変わらず極めて悪い立地ばかりである。むしろ当時の方が、バス便が多少は今よりも多かったかもしれないが、ネット通販などもなく、情報や娯楽も限られていた分、より生活は厳しかったのではないだろうか。
言葉は悪いが、その家屋の並びはまさに虫食い(スプロール化現象)そのもので、それはバブル崩壊後もしばらく続いたが、やがて地価の下落が始まると、そうした「ベッドタウン」としての需要は急速に失われていく。
いくら地価が安くても、やはり通勤も日常生活も不便すぎるし、成長した子供世代も、進学、あるいは就職を機会に地域を離れなければ、選択肢が極めて限られてしまうのだ。この点については、一般的な地方や農村部における若年層の流出事情と同様である。